冷たい指先から【短編】
「ごめんなさい。」と言ってみる。
あなたは「もういい。」と言う。
「ありがとう。」と言ってみる。
あなたは「べつに。」とそっけない。
「ばいばい。明日ね。」と言ってみる。
あなたは「うん。」と少し寂しそうにする。
私、あなたのことがすきだったのよ。
「好き」ってなに、と聞かれたら、私は上手に答えられないけれど。
たぶん、きっと、すきだったはずよ。
だって、夢にまで出てきては、私のことを泣かせるあなただもの。
ごめんなさいと謝るときも、ありがとうと笑うときも、明日ねと手を振るときも、ずっと、私、あなたがすきだったのよ。
すきだったはずよ。
なぜ、と聞かれて、上手に答えられる自信がなかったから、私。一度もあなたにすきなんて言わなかった。
あなたも、私にそんなことは言わなかった。
ときどき重なる視線とか、二人して笑いあったときとか、私、とてもすきだった。
あなたとの時間がすきだった。
さようなら、あなた。
白いシーツに顔を埋めて、泣き声を殺すあなた。
私の手を握ってくれるあなた。
心臓のあたりがぎゅうとなるのは、幸せだからかしら。
もうすぐ動きを止めるサインかしら。
それすらももう分からない私だけれど。
あなたの、私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
目を閉じても、私はあなたの顔を想像できる。
想像したあなたの顔が、だんだんと霞んでいく。
あなたの声が、遠のいていく。
指先の感覚がなくなっていく。
あなたが触れているはずなのに。
あなたの手は、あたたかいはずなのに。
私、さいごのさいごまでやっぱり、あなたのことがすきだったと思うのよ。
「好き」ってなに。なにかしら。たとえば、私があなたと過ごした時間すべて。あなたが生まれてくれたこと。あなたがこれからも生きていること。あなたの記憶に、私が少しでも残ること。
目も耳も指先も、さいごまであなたに触れられたこと。
唇を震わせる。
「さようなら。」は言えなかった。
かすかに耳に届く音。
あなたは「 。」と。
…なんて言ったのかしら。もう、聞こえない。
もう二度と、あなたの声が。
あなたの声も、私、好きだったのに。