好奇心で生きてる

短編や書きたいことをつらつらと。

缶珈琲と煙草と理由【短編】

幼い頃の記憶。祖父は、「孫との触れ合い」を超えた触れ方で、私に触れた。今でも鮮明に思い出すことができる。およそその「意味」を理解していなかった私は、祖父のするがままそれを受け入れていた。
意味を理解していないながらに、「これは、家族には言ってはいけないことなのだ」と分かっていた。
しばらくして、小学校高学年となったある日、祖父と私に血の繋がりがないことを知った。母は、祖母の連れ子だった。
ああ、そうか。だから祖父は、私にあんなことをしたのだ、と、子供ながらに少しだけ安心した。その頃にはもう、祖父が私にそういう意味で触れてくることはなくなっていた。私がその「意味」を理解するに難しくない年頃になったからだ。
祖父は、女たらしの気は確かにあったけれど、幼い子供に対して欲を掻き立てる質ではなかったように思う。祖父が不倫をする相手は皆、若くもなく歳相応の女性たちであった。
それなのになぜ?と、私は考えた。考えに考えて、いっそのこと家族に打ち明けようかと思ったけれど、結局やめた。私には祖父を家族から引き剥がすようなことはできなかった。ただでさえ、母や私と血の繋がりがないなか、「祖父」としてひとつ屋根の下暮らしているというのに。
中学生のときも、高校生のときも、忘れたことはなかった。映画のように第三者視点から映し出される、幼い日の光景。祖父の手が熱かったことすら覚えている。思い出す度、珈琲と煙草の香りが鼻を掠めた。いつか、祖父が私に触れた理由を教えてくれるかと期待していた。

私が大学生になったとき、祖父は認知症になった。仕事に忙しい父と母からの援助はなく、祖母と二人で祖父の身の回りの世話をした。
もともと気性の荒い人だった。日に日に私を忘れていって、ストーブに向かって私の名前を呼んだりした。
私の名前はまだ覚えているのだと思えて嬉しかった。
私に水をかけてきても、まだそんな力が残っているのだと思えて嬉しかった。‬
そう。嬉しかったのだ。私は、祖父を、祖父としてとても愛していた。
だからこそ、どうしても聞きたかった。あの日々、あの時間は一体なんだったのか。
祖父が毎夜徘徊を繰り返し、生傷を絶えずつくり、毎日怒鳴り声が響くようになってしばらくした頃、祖母が倒れた。
警察や病院に週に一回はお世話になり、近所からの目が痛くなった頃でもあった。
私と祖母の二人では、あまりに背負いきれなかった。そして、遠い土地にある施設に祖父を預けることを決めたのだ。
やがて祖母は回復し、「これでよかった」と私は納得した。
平穏な日々が続いた。祖母はよく笑うようになり、私もまた、夜中に近所中をかけずり回らなくてよくなった生活を心の底から喜んだ。
そのころ、私は幼いころの記憶を忘れていたと思う。認知症となった祖父との関わりあいで、昔の祖父との思い出は上塗りされたようだった。


二年経ち、祖父は亡くなった。知り合いも誰もいない、遠い土地の施設で亡くなった。
私は、「認知症となった祖父」の死をなんなく受け入れた。泣くことすらなかった。やっとのこと、楽になれたのだろうか、とすら考えた。祖母や私がどれだけ身の回りの世話をしたとして、一番苦しかったのは祖父本人に違いないのだ。
私の中で、亡くなったのは「認知症の祖父」だった。昔、私を抱き上げて飼っていた犬と散歩に行った祖父や、私にうどんを作ってくれた祖父や、剃っていない髭をじょりじょりと私の頬に擦り寄せた祖父ではなかった。
ましてや、私に熱っぽく触れた祖父でもなかった。

遺骨を墓に納めた。お線香をあげて、手を合わせても、やはりそこに昔の祖父は見えなかった。
ふと、親族が供えた缶珈琲と煙草が目に入る。
「こればかり飲んで、こればかり吸っていた」と、親族は笑いながら缶珈琲のプルタブを開け、煙草に火をつけた。
ああ、あの香りだ。
あの日、私に触れた日に祖父から移った香り。忘れることのない香り。懐かしい香り。
塗り潰されたと思っていた、祖父の表情、声、手の温度、香り、が、一瞬のうちに頭の中で弾けた。
ぱちぱちと弾けたそれが、私の喉を震わせた。引き攣って、遅れて涙が溢れ出した。私は声をあげて泣いた。
やっと、やっと、私は私の祖父を亡くしたのだと気が付いた。

祖父が私に触れた理由を、ついぞ知ることはできなかった。もう、考えても意味のないことなのだろう。案外、理由なんてないのかもしれない。そうやって折り合いをつけて、私は少し狡猾になる。

喫煙所からあの煙草の香りがするたびに、
誰かがあの缶珈琲を飲むたびに、幼き日を思い出す。


『                       』
記憶の中の祖父の声。
祖父と私の秘密は、誰にも明かさない。